植村直己冒険舘
【所在地】兵庫県豊岡市日高町伊府785
【TEL】0796-44-1515
【HP・URL】 http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/index.html
【訪舘日】07年04月28日

植村直己さん。
日本を代表する世界的な冒険家でした。
何をしたか知らないでも名前くらい聞いた事のある人は多いと思います。

この冒険舘ではそんな植村さんの功績を映像、画像、展示物などで紹介してある。
私は二度目の来館ですが何度訪れても植村さんの生き様には感動を覚えます。

どんな冒険をしたか紹介すると、主に世界で初めて五大陸の最高峰の山を登った事であろうかと思います。ヨーロッパ大陸のモンブラン(4807M)、アフリカ大陸のキリマンジェロ(5895M)、南米大陸のアコンカグア(6960M)、北米大陸のマッキンリー(6194M)、それにユーラシア大陸で世界最高峰であるエベレスト(8846M)である。

日本人初の快挙でもあった。このエベレスト登頂の際のエピソードを一緒に登頂されたもう一人の松浦輝男氏が記録映像の中で語られていた。

最終アタック隊に選ばれた二人は山頂まであと10数メートルという所で前を歩いていた植村さんが「松浦さん、お先に登られて下さい」と日本人初の快挙を同行者に譲ろうとしたらしい。
結局ふたりは肩を組み、同時に初登頂を果たしたと語られていた。
また、植村さんは下で待つ大勢のサポート隊員達の為に下山に必要ないカメラなどを捨て、世界最高峰の石をザックいっぱい詰め込んで持ち帰ったとも言われていた。

その他にもアマゾン川をいかだで6000キロも下ったり、北極圏12000キロを犬ぞりで横断したり、北極点にも犬ぞりで到達している。グランジョラス(4208M)北壁を厳冬期に登攀している。国内では北海道の稚内から九州の鹿児島までの3000キロを徒歩で縦断などの快挙を成し遂げている。
それ自体大変快挙な事なのですが私が驚いたのはエベレスト以外は全て単独での成功である。

しかし、成功ばかりでは無く、何度か挫折も経験しているようである。
日本冬季エベレスト遠征隊の隊長として遠征した時は登頂できず失敗に終わっている。
その時の無線交信のなかで植村さんは記録映像の中で「すみません。すみません。」と繰り返していた。
それにアルゼンチン軍の協力を得て南極大陸を犬ぞりで3000キロ走破して、同大陸の最高峰のビンソンマシフ(5140M)の登頂を計画していたがたまたまイギリスとアルゼンチンがフォークランド諸島の領有権を巡り戦争が勃発し、この時も断念している。

その間、野崎公子さんと結婚されている。
その時の結婚式に主席された方たちの引き出物には五大陸の最高峰の石を磨り潰して焼き上げた湯呑(?)が配られたそうだ。

最後に84年の2月に厳冬期のマッキンリー単独登頂後に消息を絶つ。
私の記憶では当時のニュース映像で遭難が確実視された時に、奥さんの公子さんが会見をされたいた。記者の質問にも涙も見せず毅然と答えられていたのを記憶している。

下の画像は植村さんが厳冬期のマッキンリーに登頂後、下山途中にセスナ機の無線交信の会話です。これ以降連絡が取れず、最後の肉声となりました。
その後明治大学の山岳隊が2度、植村さんの遺体を捜索に行かれたそうですが、今も見つかっていません。

厳しい自然をフィールドとし、数々の偉業を達成した植村さん。
最後はその厳しい自然に還ってしまいました。ありふれた言葉ですが植村直己さんも本意じゃなかったとしても本望じゃないかと思うのは私だけでしょうか。
■植村直己さんが高所、極地で使用したものが沢山展示されていた。 ■エベレスト登頂時に使用した中に毛皮を使用した特注のスカルパ(?)の登山靴。
■ヒマラヤの未踏峰、ゴジュンバ・カン(7889M)に明大隊の植村直己氏 ■1970年8月北米大陸最高峰のマッキンリー(6194M)
■1970年5月世界最高峰のエベレスト(8848M)に日本人初で松浦氏と登頂する。 ■南米アマゾン川6000キロをイカダで下る。

ホームに戻る / やまたび・みちくさに戻る

ブログパーツUL5